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東京高等裁判所 昭和56年(う)1554号 判決 1982年1月28日

主文

原判決中被告人に対する原判示第一、第二、第五別紙一覧表(四)の4ないし6、第一〇、第一二の各罪に関する部分を破棄する。

被告人を右各罪につき無期懲役に処する。

原審の未決勾留日数中九〇〇日を右刑に算入する。

押収<省略>

原判決中被告人に対する原判示第三、第五別紙一覧表(四)の1ないし3の各罪に関する部分についての本件控訴を棄却する。

理由

論旨は、量刑不当の主張であつて、要するに、(一)原判決が被告人に対し懲役一五年を科した原判示第一の強盗殺人、第二の建造物等以外放火、第五別紙一覧表(四)の4ないし6の各窃盗、第一〇、第一二の各恐喝の罪については、そのうち最も重い強盗殺人の情状をみると、被告人は少年時代から幾多の非行、犯罪を重ねており、性格も粗暴かつ危険であり、その悪性、反社会性には根強いものがあり、右犯行はその反社会的性格が発現したものと認められること、その犯行の発端は被告人が自ら自動車を運転中被害者北爪明運転の自動車に接触されたと言いがかりをつけたことにあり、その後犯行が発展したについても責任は被告人らの側にあるのであつて、犯行の動機、原因に全く酌量の余地がないこと、犯行の手段をみても、約一時間四〇分位にわたり、何の落度もなく終始無抵抗の被害者に対し、三か所において四名の共犯者ともども執拗に兇暴な暴行を繰り返し、カメラ等多数の物品を強奪したばかりか、遂には湖上にかかる橋の上から全裸のまま厳寒の湖中にこれを投下して殺害したものであつて、近来まれにみる残忍、非道な犯行態様であること、被害者の遺族は今なお被告人に対し厳罰を切望しており、本件犯行が社会一般に与えた不安と恐怖も甚大であつて、この種事犯の再発防止の見地からも厳罰が要請されること、被告人は共犯者中最年長者であり、本件犯行の発端を作つたばかりか、犯行の全過程を通じて率先して暴行、殺害行為に出ているのであつて、その罪責は他の共犯者に比してはるかに重大であること、被告人は本件犯行直後から犯跡隠ぺい工作をし、原審公判廷においても一人自己の罪責を争うなどの態度をとり、反省悔悟の情が認められないことなどの諸事情があり、これらに照らすと、被告人に対しては無期懲役をもつて臨むほかないというべきであつて、無期懲役刑を酌量減軽したうえ懲役一五年を科した原判決の量刑は軽きに失して不当であり、(二)原判決が被告人に対し懲役五年を科した判示第三の強盗致傷、第五別紙一覧表(四)の1ないし3の各窃盗の罪については、そのうち最も重い強盗致傷の情状をみると、被害者が共犯者の内妻とかつて肉体関係をもつたことがあり、かつ、多額の金員を所持していることを聞き、これに言いがかりをつけて共犯者ともども遊興費のための金品を強取したものであつて、犯行の動機の点で悪質であること、被害者を三個所に引き回し、最後には全裸にしたうえ、共犯者ともども手拳、ジュース缶などで被害者の頭部など身体全体を乱打し、わずかな隙を見て被害者が逃げ出して通りがかりの自動車に助けを求めるまでこれを繰り返しているのであつて、犯行の手段もまことに執拗、残忍であつたこと、被告人はこの犯行についても指紋が付着していることを恐れて被害者の自動車を焼燬して証拠隠滅を図ることを提案して実行しており、その犯罪者的性格はまことに根強いと認められることなどの諸事情があり、これらによると被告人に対しあえて酌量減軽のうえ法定刑の下限を下回る量刑をすべきものとはとうてい認められないのに、原判決が酌量減軽のうえ懲役五年を科したのは量刑軽きに失して不当である、というのである。

そこで、原審記録を調査し当審におけ判旨る事実取調の結果をも参酌して検討すると、被告人に対し原判決が懲役一五年をもつて臨んだ部分については、無期懲役刑をもつて臨むのが相当であつて、量刑軽きに失したものというほかなく、破棄を免れないが、原判決が懲役五年をもつて臨んだ部分については、量刑が不当に軽過ぎるものということはできず、これを維持するのが相当である。以下、その理由を付加して説明しておくこととする。

一原判示第一、第二、第五別紙一覧表(四)の4ないし6、第一〇、第一二の各罪に関する論旨について

(一)  まず、被告人の生活歴と前科前歴をみると、被告人は、昭和三一年七月二〇日田二反を耕作する農業を家業とする傍ら父が佐官職を兼ねる家に生れ、小、中学校当時は成績こそ全く振わなかつたもののよく学校に通つていたが、昭和四七年四月高等学校に入学した後は欠席が多くなり、クラブ活動での上級生の態度から嫌気がさして同年一二月には退学し、一時祖父の下で炭焼きを手伝つたり、「大日本国防会」と称する暴走族の仲間に加わつたりする生活を送つた後、自動車修理工見習、ビル解体工などの職を転々とした。そして、昭和四九年一月からは名古屋の造園業の店に住込みで働くようになり、昭和五〇年ころには原判示第三の強盗致傷及び同第一の強盗殺人を含む本件犯行の共犯者であつた武政英治と知合い、相前後して右第二の強盗殺人の共犯者であつた浅井正己、坂本勇次らとも付き合うようになり、その間飲酒や女遊びの遊興費等に窮したところから、昭和四九年九月に帰郷した折外二名とともに深夜ボー卜場事務所に侵入して現金などを窃取し、翌昭和五〇年九月に帰郷した折にも単独又は前記武政英治らとともに八回にわたり深夜ガソリンスタンド等の事務所に侵入して現金などを窃取する非行を繰り返し、これらの非行により昭和五一年二月一六日浦和家庭裁判所熊谷支部において中等少年院送致の処分を受け、八街少年院に入院するに至つたが、その後も被告人の心情は安定せず、逃走を図つたり、助言した上級生に暴行を加えるなどして二度も謹慎処分を受け、さらに強度の矯正教育のため同年六月三〇日特別少年院である小田原少年院に移送されたものの、ここでも軽卒な行動が目立ち、逃走計画幇助と生活態度不良により謹慎処分を受ける有様であり、ために収容継続決定を受け、昭和五二年八月一日に至り仮退院して両親の下に帰つた。しかし、その直後、被告人は、両親に無断で家出を当時武政英治とその内妻岡田昌子が居住していたアパートに同居し、少年院仮退院の僅か一二日後の同月一二日ころから同月二〇日ころまでの間三回にわたり単独又は右武政英治、岡田昌子とともに原判示第五別紙一覧表(四)の1ないし3の窃盗を犯し、同月二六日には右両名外一名と共に原判示第三の強盗致傷事件を起し、さらに、同月三一日には窃盗の目的で自動車教習所事務所に侵入して金員を物色中に警察官に発見、検挙され、同年一〇月三一日藤岡簡易裁判所において、最後の窃盗未遂、住居侵人罪により懲役一〇月、四年間刑執行猶予、保護観察付きの刑を言渡された。しかし、被告人は、その少し前ころから、土建会社で自動車運転手兼雑役として働くようになつたものの、あいかわらずその行状はあらたまらず、同年一一月ころは前記武政英治のアパートを引き継いで内妻島田小百合と同棲する一方、その居室や原判示第一の強盗殺人の共犯者浅井正己の居宅に他の共犯者らとたむろしては一緒に飲酒、シンナー吸入、覚せい剤注射をしたり、深夜騒音をあげながら自動車を乗り回したりする生活を重ね、また、実現はしなかつたものの自ら「紅蠍」と名付けた暴走族を結成してその首領になろうと目論み、右武政英治らを誘つたこともあるなど、保護観察所の指示に従い厳に身を慎まなければならないのに、全く自省自戒することなく、その指導監督を拒み、同年一一月には右武政英治とともに又は単独で原判示第一〇、第一二の各恐喝事件を犯し、また、同月下旬以降三回にわたり右武政英治、浅井正己外一名とともに原判示第五別紙一覧表(四)の4ないし6の各窃盗を繰り返し、遂に原判示第一の強盗殺人を犯したものである。

以上の経過に徴すると、被告人は中学校を卒業したころから乱脈、無軌道な生活を続けるとともに、安易に非行、犯罪に走り、幾度となく反省し立ち直る機会が与えられながらその努力をせず、むしろその度ごとに反撥した態度をとり、その反社会的、犯罪的傾向を固定化し増幅させていつたものと認められるのであつて、こうした点からみると事態が本件強盗殺人の犯行にまで発展するに至つたのは決して偶然ということはできない。

(二)  次に、本件犯行中最も重い原判示第一の強盗殺人について、犯行の動機、態様、結果と被告人が果した役割を検討すると、被告人は、犯行当日の夕刻からいつものように共犯者浅井正己の居宅で他の共犯者らとともに飯酒やシンナー吸入をした後、帰宅するため普通乗用自動車を運転し、同日午後九時三〇分ころ群馬県多野郡鬼石町大字鬼石七六番地先路上にさしかかり、当時一九歳の被害者北爪明が運転する普通乗用車とすれ違つた際、その車に接触されたと文句をつけたうえ車を足蹴にし、これが発端となつて本件強盗殺人の犯行にまで発展したのであるが、被告人自身が捜査段階において供述するところによつても、その接触というのは「コツンという音がしたような気がした」という程度のものであつて、実際に起こつたことであるのか否かには疑問が存するばかりか、両車両が接近する事態になつたのも、被告人車が道路標示により追い越しのためのはみ出し禁止とされている幅員約四メートルの狭い道路を進行中、進路左側に駐車中の自動車を避けるため不用意に対向車線に進出したことによると認められるのであつて、被告人の落度に起因するのである。こうした被告人の一方的で無法な態度は、本件においてばかりではなく、その直前の出来事にもよく表われている。すなわち、被告人は、本件被害者に出会う少し前、通りがかりの二台の自動車の運転者に対して相次いで言いがかりをつけ、うち一台については、相手方車両のエンジンキーを引き抜いて道端に投げ捨て、他の一台については、ゆつくり走行していたといつては一方的に言いがかりをつけ、喧嘩を吹きかけており、偶然その運転者が顔見知りの者であつたため事なきを得たという経緯があつたのである。

被告人は、右の被害者北爪明と出会つた後、被告人車の後続車で同行していた武政英治、坂本勇次、能登裕行ともども、三台の車に分乗して被害者を約1.65キロメートル離れた埼玉県児玉郡神泉村大字下阿久原字池尻二六七番地先路上に連れて行き、その場で武政英治と二人で被害者に対し暗に修理代金名下に金員を要求した。

ついで、全員がいつたん浅井正己方に戻つて同人を仲間に入れ、被告人と被害者の車二台に分乗して、同日午後一〇時ころ、同村大字下阿久原一五八一番地所在の人里離れた阿久原カントリークラブゴルフ場造成地に被害者を連行し、被告人を含む共犯者五名で「勘弁してくれ」と助けを請う無抵抗の被害者に対し、顔面、胸部、腹部など殴打し、腹部を蹴り上げ、足払いをかけて転倒させるなど徹底的な暴行を加えたうえ、同人に現金二〇万円を交付させることを約束させた。

その後、被告人らは、右約束の金員を取り立てるため、二台の車に分乗して出発し、約四〇〇メートル離れたゴルフ場造成地内の残土運搬用道路にさしかかつた際、武政英治運転の被害者車両の右側車輪が道路脇の溝に落ちて走行不能となつたため、そのことによる苛立ちも加わり、その場で更に被害者を痛めつけたうえその車両から金品を強取しようとの共通の意図の下に、まず被告人において、自車内にあつたヌンチャク(長さ約36.5センチメートルの八角形樫棒二本を木綿の紐で結んだもの)を取り出し、車外に連れ出されて全く抵抗することのできない被害者の背部、脛部、股間などを一〇回位にわたりこれで乱打し、ついで、武政英治、能登谷裕行において、こもごも被害者の顔面を手拳で殴打し、腹部、股間を膝で蹴りつけ、足払いをかけて転倒させるなどの激しい暴行を執拗に加えたうえ、被告人、武政英治、浅井正己において、被害者の着衣を剥ぎとつて全裸にして被告人車両の後部トランクにこれを押し込み、皆で被害者車両からカメラ、ステレオ、スピーカー、タイヤ、ホーン、シートカバー、ハンドルなど合計二一点(価格合計一四万三九四〇円相当)を手当たり次第に強取し、その際被告人において、「欲しいものがあればみんなもらつちやえ」など発言した。

さらに、被告人らは、自分らの指紋が残つている被害者車両をそのまま放置すれば犯行が露見するものと恐れ、その場でこの車両に火を放つて焼燬したが、その際、被告人は、実行行為を担当した武政英治に対し、車両を焼えやすくする意図の下で、「ドアを開けろ」とか「窓を開けろ」などと指図した。

右放火の後、被告人は、被害者を生かしておいては犯行が発覚するので被害者を下久保ダム(通称神流湖)に投げ込んで殺害しようと思い立ち、外四名の共犯者に対し「ダムに落してしまうべえ」と提案してその賛成を得、直ちに被告人車両を自ら運転して全員が約13.5キロメートル離れた山奥の神流湖上にかかる金比羅橋中央付近すなわち同村大字矢納字向平二三一二番地の八先地点に至り、車のトランク内から橋のコンクリート路上に被害者を引きずり出したが、被害者を湖中に投げ込んだ後同人が万一にも湖岸に泳ぎ着くことを懸念して同人を意識不明に陥れることを決意し、被告人が共犯者四名に対し前記ヌンチャクを示したうえ「これでみんな回り打ちすべえ」と申し向け、浅井正己を除く共犯者三名ともども、すでに抵抗する力もなくうめき声を上げつつ横たわつている被害者の頭部、背部、腎部、大腿部などをかわるがわる前記のヌンチャクで力まかせに乱打し、その間被害者が「もうだめだ死ぬ」とうめいて助けを請うても意に介さず、「早く死んじめえ」などといいつつ、ヌンチャクが割れるまでこれを続けたうえ、同日午後一一時四〇分ころ、武政英治と二人で被害者を橋の欄干の外に押し出し、被害者が必死になつて欄干外側の円筒形パイプにしがみついたのを、被告人において「しぶといやつだ」などと言いながらその手を足蹴りにして約三〇メートル下の湖中にこれを落下させ、溺死させた。

以上の事実経過から明らかなとおり、本件犯行は、午後一〇時ころから午後一一時四〇分ころまでの長時間にわたり、全く落度がなく終始無抵抗の被害者に対し、三か所に引き回したうえ、熾烈な暴行を執拗に繰り返し、一月の厳寒のさなかに全裸とし、多数の物品を強奪し、遂には湖上の橋から湖中に投下して殺害したものであつて、その犯行態様は残忍、非道というのほかない。被告人らによる暴行がいかに激しかつたかは、遺体のほぼ全身にわたる皮下出血斑と表皮剥脱、左第六肋骨骨折などの損傷が如実に物語つている。しかも、被告人は、この犯行において、その発端を作つたばかりか、犯行の全過程において、終始主導的役割を演じ、かつ、自ら率先して実行行為に及んでいるのであつて、その言動が本件犯行の発生、拡大に及ぼした影響はまことに大きいものというべく、その点において他の共犯者に比して被告人の刑責は格段に重いといわざるを得ない。

被害者は、当時一九歳の工員で、職場における勤務成績は良好であり、その性格も真面目で温和であつて、当日午後九時近くまで残業した後自分の普通乗用自動車を運転して帰宅する途中本件被害に遇い、被告人から理不尽な言いがかりをつけられたり、いわれのない暴行を受けても、終始抵抗もせず、ひたすら被告人らを挑発しないように耐えていたのに、非業の死を遂げるに至つたものであるから、その無念さは想像に難くない。また、被害者は両親の結婚後六年目に生れた独り息子であつて、両親はこの子の将来に期待をかけて生活していただけに、その悲嘆、憤激は察するに余りがあり、今日まで極刑を望んでいるのもまことに無理からぬものがある。本件犯行が近隣住民や社会一般に与えた不安と恐怖の甚大であつたことも、多言を要しない。

(三)  さらに、その余の主要に情状について検討を進めると、本件裁判の対象となつた被告人の各犯行中には、その後に犯した右強盗殺人の犯行と類似し、これを暗示する点が多々認められることをも指摘しなければならない。すなわち、原判示第三の強盗致傷の罪は、後にあらためて詳しく考察するように、武政英治及びその内妻岡田昌子とともに、かつて同女と肉体関係のあつた被害者石塚敏文方に押しかけ、その弱みにつけ込んで同人の頭部、顔面をジュースの缶で殴打したり、割つたビールびんで同人の左背部を突き刺すなどの暴行を加えて物品を強取し、さらに、同人を自動車で神流川堤防に拉致して全裸にしたうえ、その顔面、腹部を手拳で殴打するなど執拗な暴行を加え、かつ、犯跡を隠ぺいするため、同人の自動車を焼燬した事犯であつて、本件強盗殺人の犯行と態様において極めて類似している。また、本件強盗殺人罪と併合罪の関係に立つ原判示第一〇の恐喝の罪は、武政英治とともに、被害者島崎雄次が被告人の内妻島田小百合から金員を借りていることなどに藉口し、現金一三万円を喝取したというものであるが、その過程において、被告人は被害者から右借用金額の倍額を喝取しようと企て、同人に対し「警察に話すなら話してもいいぞ。どうせすぐ出て来るんだからその時はただではおかない。半殺しにしてやる」などと執拗、悪質な脅迫に及んだものであり、同じく原判示第一二の恐喝の罪は、被害者杉山正美が被告人の友人川鍋正弘の知人である桝山明美から金員を借りていたことに藉口して現金三万円を喝取したというものであるが、その過程においても、右貸金の取り立てを依頼された事実がないのに、被害者に対し「その金は俺がもらうことになつている。三万円にして返せ。よこさなければどうなるか分つているな」などと執拗、悪質な脅迫行為に及んだものである。これらの犯行態様を前記強盗殺人の犯行態様とあわせ考えると、被告人には、些細なことに因縁をつけ、被害者側が無抵抗であるなどの僅かなつけ入る隙を見逃がさず、金品奪取の犯行に及び、さらに、状況いかんによつては非情、兇悪な心情を自らかき立てるかのような形で事態をとめどなく発展させる行動傾向のあることが顕著に看取されるのであつて、その危険性はまことに大きいというべきである。

加えて、被告人は、本件犯行につき十分に反省改悟をしていない。すなわち、被告人は、右犯行直後、警察の捜査を予想し、犯行の際同行していた内妻島田小百合に対し、警察から当夜の事情を聞かれたときは被告人とともに高崎方面に飲みに出かけた旨話しをするように指示し、その翌日ころ事情聴取のため被告人方を訪れた警察官に対し、自ら右のとおりのアリバイを申し立てるとともに、同女にもこれと口裏をあわせた説明をさせ、ついで、警察が捜査に乗り出したことを察知するや、自ら提案して共犯者四名とともに、翌五三年一月一九日深夜、前記の強取物品を埼玉県児玉郡泉村大字矢納所在の山中に運んでこれを投棄しているのであつて、犯行後の被告人の態度や行動もまことに冷静、計画的であつたことが認められる。しかるに、被告人は、原審公判廷において、飲酒やシンナー吸入のため犯行はよく覚えておらず、捜査段階における自白は警察官に迎合しあるいはその誘導によるものであると主張して、共犯者中一人自己の責任の否定、軽減を図つている。また、被害者やその遺族に対し真剣に謝罪の意を表そうともしていないのである。

原判決は、被告人のために斟酌すべき事情として、いまだ若年であつたこと及び飯酒、シンナー吸入の影響もあつて犯行が当初予想しない方向に発展したことを挙げているが、若年とはいえ犯行時二一歳の成人であり、原判決言渡時にはすでに二五歳に達しており、かつ、前記のとおり少年時代から非行を重ね、幾度かの矯正教育にもかかわらず、かえつてこれに反撥し、自ら犯行を累行、拡大させ、反社会的、犯罪的傾向を固定化し、増幅させてきた被告人につき、この点を過度に斟酌するのは正当とはいえず、また、飲酒、シンナー吸入の影響の点も、前述のような従前の強盗致傷、恐喝の各犯行態様との類似性や被告人の性格、行動傾向との親近性に着目するときは、これを過度に酌量に値するものと評価すべきではない。

(四)  以上、本件犯行の動機、態様、結果、被告人の果した役割、被告人の生活歴、前科前歴、性格、行動傾向などを総合し、一般予防及び特別予防の見地から考察するときは、被告人の年令などの酌むべき点を十分に考慮しても、被告人に対しては求刑どおり無期懲役刑をもつて臨むのが相当であり、本件強盗殺人の罪につき所定刑中無期懲役刑を選択したうえ、犯情憫諒すべきものがあるとしてさらに酌量減軽して被告人を懲役一五年に処した原判決の量刑は軽きに失して不当であるといわざるを得ない。この点の論旨は理由がある。

二原判示第三、第五別紙一覧表(四)の1ないし3の各罪に関する論旨について

(一)  原判示第三の強盗致傷罪の犯情を中心に検討すると、被告人は、昭和五二年八月一日小田原少年院を仮退院した直後の同月一四日ころ、武政英治及びその内妻岡田昌子から、当時二五歳の被害者石塚敏文がかつて同女と肉体関係をもつたことがあり、かつ、同人が多額の金員を所持していることを聞き、遊興費等の金欲しさから、これを種に金品を強取しようと考え、右両名とも相談のうえ右強盗致傷の犯行に及んだものであつて、この犯行もまた、被害者の方につけ入る隙があると、これに言いがかりをつけるという被告人の行動傾向の表われというべく、動機において酌量すべき点はない。

次に、右犯行の手段についてみると、被告人は翌一五日夜、さつそく右両名とともに被害者方に赴き、同人に対し前記肉体関係の有無を問い詰めて反応をうかがつたうえ、同月二六日午前零時ころ、右両名及び川鍋正弘とともに被害者方に赴き、共同して、「面白くねえ野郎だ」などと怒号しながら、被害者の顔面、頭部を一〇数回手拳で殴打し、さらに、ジュース缶でその頭部を強打し、ビールびんを割つてその割れ口で背中を突き刺すなどの執拗で危険な暴行に及び、ステレオ、預金通帳など合計一九点(価格合計約三五万一三三円相当)を強取したが、その際の被告人の行動は、終始積極的、主導的であつて、手拳による暴行に加つたほか、進んでジュース缶、ビールびんによる右暴行にも及んでいる。被告人らは、その後、さらに暴行を加えて被害者から金品を強取するとともに、先に強取した銀行の預金通帳を利用して預金の払戻しを受けるため、同人を監禁しようと考え、同人をその所有する普通貨物自動車に乗せて約3.6キロメートル離れた埼玉県児玉郡上里町大字八丁河原一二六番地の二先の利根川河川敷にこれを連行し、同所において、被告人と武政英治とが、こもごも無抵抗の被害者の顔面、頭部等を殴打し、胸部、腹部を膝で蹴り上げ、水たまりの中に同人を投げ飛ばしたばかりか、同人を土下座させて謝罪させ、さらにこれを全裸にするなどの行為に及んだ。被告人らは、なおも同人を右自動車に乗せて約5.4キロメートル離れた同町大字勅使河原一八三一番地の二先の神奈川堤防上に連行し、ここでも被告人と武政英治とが、こもごも被害者の顔面、腹部を手拳で殴打した。このように、本件犯行の手段は誠に残忍、執拗であり、かつ、被告人の関与の態様は積極的かつ主導的である。

被告人と武政英治は、前記利根川河川敷において、被害者を前記下久保ダム(通称神流湖)に落すことについて相談していたが、被害者が、右神流川堤防上で暴行を受けた後のわずかの隙をみて、その場から逃げ出し、被告人らの追跡を振り切つて通りがかりの自動車に助けを求めたため、原判示の致傷の結果にとどまつたものの、事態の推移いかんによつてはさらに重大な結果が生じたことも考えられるような状況であつた。

(二)  被告人らは、被害者に逃げられた後、その自動車に指紋が残つていることを恐れ、犯跡を隠ぺいするため、前記神流川堤防付近で右自動車を焼燬しており、この点も被告人らの反社会的、犯罪的行動傾向の強さを物語るものというべきである。原判示第一の強盗殺人罪の犯行態様との共通性についてはすでに指摘したとおりである。

さらに、被告人らは被害者に対し慰謝の努力をしておらず、被害者の厳罰を望む意思は固い。

(三)  以上の諸事情とすでに述べた被告人の生活歴、前科前歴その他の一般的量刑事情とをあわせ考慮するときは、被告人に対し酌量減軽のうえ法定刑の下限を下まわる量刑をするまでの理由はないとする論旨も首肯しえないわけではないが、他面、被告人には確定裁判がある関係で一段と重い原判示第一の強盗殺人罪などに対する刑と本件の罪に対する刑とが別個に科されることになること、ことに右強盗殺人罪等に対しては無期懲役刑を科するのが相当と認められること、その他すでに各一個の刑を言渡されて確定している共犯者との刑の権衡などの諸事情を考慮するときは、被告人に対し酌量減軽のうえ懲役五年の刑を科した原判決の量刑は、あながち不当に軽過ぎるものということはできない。この点の論旨は理由がない。

三結論

原判決中被告人に対する原判示第一、第二、第五別紙一覧表(四)の4ないし6、第一〇、第一二の各罪に関する部分については、刑訴法三九七条一項、三八一条によりこれを破棄し、同法四〇〇条但書により次のとおり判決する。

右各罪の罪となるべき事実は原判決が認定したとおりであり、これらの事実に原判決が挙示するとおりに該当法条の適用及び刑種の選択を行い、原判示第一の罪につき無期懲役刑を選択したので刑法四六条二項本文により他の刑を科さず、被告人を無期懲役に処することとし、同法二一条を適用して原審の未決勾留日数九〇〇日を右刑に算入し、押収してあるガスライター一個(当庁昭和五六年押第五四八号の22)は原判示第二の犯行の用に供した物で被告人以外の者に属さないから同法一九条一項二号、二項を適用して被告人からこれを没収し、押収してある主文第五項掲記の物は原判示第一の罪の賍物であつて被害者北爪明が生前に所有又は管理していた物であるから刑訴法三四七条一項によりこれらを同人の相続人に還付することとし、原審の訴訟費用は同法一八一条一項但書を適用して被告人にこれを負担させないこととする。

原判決中被告人に対する原判示第三、第五別紙一覧表(四)の1ないし3の各罪に関する本件控訴については、刑訴法三九六条によりこれを棄却することとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(千葉和郎 香城敏麿 植村立郎)

<参考―原判決の量刑理由>

(量刑の事情)

被告人らの本件各犯行はいずれもその粗暴性及び盗難の発現した極めて悪質なものであつた。ことに北爪明に対する強盗殺人は残忍、凶悪、狂暴というのほかないものであつた。すなわち、右事件は、被告人らはいずれも飲酒及びシンナーの吸入でかなり酩酊していたとはいえ、些細なことから被害者に因縁をつけ、ヌンチャクという凶器まで用いて執拗かつ徹底した暴行を加えたうえ物品を強取し、この隠滅工作として放火、殺人にまで及んだものであつて、これは前述のような被告人らの旧頃の生活態度の極端な乱れから生じたものというべく、決して偶発的なものとはいいがたく、生来真面目な青年で、何ら落度とてなく、終始無抵抗であつた被害者に対するこの凶行は許しがたく、被害者の無念さ及びこのような形で一人息子をなくした両親の悲嘆は察するに余りあり、右両親が被告人らに対し厳しい処罰を望むのも無理からぬことである。またこの事件が社会に与えた影響は大きいものがあり、被告人らの責任は極めて大きい。

以下、被告人ごとに右強盗殺人(以下、本件という)を中心にその量刑の事情を述べる。

一 被告人武政について

同被告人は、本件犯行の発端を作つた被告人中里に無批判に加担し、同人と共に他の共犯者である少年三人を指揮して本件犯行につき終始主導的立場にあつたものである。本件犯行のそもそもの発端こそ被告人中里にあるが、被告人武政がゴルフ場造成地内の残土運搬用道路において北爪の自動車を溝に落として苛立ち、同人に暴行を加えたことが悲惨な事件に発展するきつかけとなつた点で同被告人の責任は大きい。このほか、同被告人は自ら被害者に暴行を加え、証拠隠滅工作として右自動車に対する放火を提案して自ら実行に及んでいる。本件犯行は、本判決で認定したように、以前から繰り返してきた強盗致傷、窃盗、恐喝、傷害と軌を一にし、その延長線上にあると考えられ、前記のとおり決して偶発的なものとはいえず、同被告人の反社会的性格の発現といえるものである。

以上のとおり、同被告人は極めて悪いといわざるをえないが、同被告人は、本件犯行後被告人と共に自首をしたこと、いまだ若年で、道路交通違反のほか前科もなく、一部につき示談が成立し、当公判廷において反省の態度が窺えることのほか、その帰りを待つ年若い妻と幼い子がいることなど一切の事情を考慮して、主文掲記の刑を量定した。

二 被告人中里について

同被告人は、被害者に因縁をつけ、本件犯行の発端を作り出したうえで他の者の行為を誘発し、自ら被害者に執拗に暴行を加え、最後は自ら被害者の殺害を提案して実行に及んだもので、終始本件犯行につき最も主導的に行動したものであるが、その後も種々証拠隠滅工作に及んだりし、当公判廷においてもその反省の態度は十分でなかつた。本件犯行は、被告人武政同様、それ以前から繰り返していた強盗致傷、窃盗、恐喝が発展したもので、決して偶発的なものではなく、同被告人の反社会的性格の発現である。ことに同被告人には前記の前科があり、厳しい反省を求められたはずの前件判決言渡しの直後から悪質な犯罪を繰り返し、遂に本件犯行に至つたもので、保護観察付執行猶予を何ら意に介することのないその態度は許されるべきものではない。

以上のように同被告人の犯情は極めて悪く、検察官の無期懲役及び懲役七年の求刑も一応理解できるが、同被告人がいまだ若年であること、飲酒及びシンナーの吸入も加わつて、犯行が当初予期しない方向に発展してしまつたものであることなどを考慮して、酌量減軽し、主文掲記の刑を量定した。

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